キレたヘッドホンアンプを作りました。ここ最近は、スルーレート重視のヘッドホンアンプを作ってきました。しかし、高スルーレート化により、出力信号のオフセットが大きくなりました。そこで、増大するオフセットを抑え込むために、負帰還量を多くしました。しかし、大きすぎる負帰還信号が、非反転入力に回り込み、発振が起きました。
前回は、スルーレートとオフセットのバランスを取った回路の設計まで行いました。今回は、設計に従って、ヘッドホンアンプを組み立てます。
キレたヘッドホンアンプの回路図
前回設計した、キレたヘッドホンアンプの回路図をおさらいしておきましょう。
このヘッドホンアンプは、二段の差動増幅回路、ダイアモンドバッファ、プッシュプルで構成されています。一段目の差動増幅回路は、主に入力信号と負帰還信号の差分増幅を行います。入力信号と負帰還信号の差を増幅することで、歪みの除去を行います。併せて、アンプの増幅率を決める働きをします。
二段目の差動増幅回路は、一段目の差動増幅回路と逆の極性となっています。これにより、一段目トランジスタの非線形性が二段目のトランジスタで打ち消されます。
二段の差動増幅回路で電圧増幅された信号はQ5,Q6で構成されたダイアモンドバッファに送り込まれます。ここでは、信号の電力増幅とボルテージシフトを行います。ボルテージシフトにより、Q7,Q8のプッシュプル電力増幅回路をAB級動作させます。
以上の流れで、信号を増幅することにより、歪みの少ない増幅が行われます。しかし、一段目差動増幅回路に使う二つのトランジスタ、Q3とQ4の選定には注意が必要です。これら二つのトランジスタのVbe(ベース、エミッタ間電圧)が揃っていないと、出力オフセットが増大します。
実は、もっとキレたヘッドホンアンプも設計していた(ボツ)
今回制作するヘッドホンアンプでは、一段目差動増幅回路が最も重要です。一段目差動増幅回路が、ヘッドホンアンプの性格を決めます。目標である、スルーレートの向上も、一段目差動増幅回路のエミッタ抵抗とコレクタ抵抗で概ね決まります。スルーレートを向上させるには、エミッタ抵抗とコレクタ抵抗を小さくします。試しに、エミッタ抵抗とコレクタ抵抗を10kΩにした回路を設計しました。
一段目差動増幅回路の、エミッタ抵抗とコレクタ抵抗を10kΩにし、更なるスルーレート向上を図りました。シミュレーション結果も、ブレッドボードでの仮組でも動作しました。しかし、欠点もありました。それは、電源電圧の変動に弱いという欠点でした。今回制作するヘッドホンアンプは、電池駆動を前提としています。電池駆動の場合、ある程度の電圧変動は見込んでおいた方が良いでしょう。しかし、この回路は、電源電圧が8Vを切ったあたりから、動作が怪しくなります。
スルーレートの向上だけが目的であれば、この回路は優れています。しかし、電池駆動を前提とした使いやすさを考慮し、ボツにしました。
キレたヘッドホンアンプの組み立て
今回も、JLCPCBで制作した。ギチギチ高密度実装基板を使用します。スルーホール部品を使用した、時代錯誤なヘッドホンアンプです。しかも、抵抗を立てて実装するあたりも、現代風ではありません。しかし、小さな基板に、部品が所狭しと並んだ様子が大好きです。部品の高さや、抵抗の向きも、ビシッと揃えるとカッコイイです。
なお、使用トランジスタは、回路図上ではBC547,BC557です。しかし、実機ではBC548,BC558を使用しました。両者の違いは耐圧だけです。
※BC547,BC557のVceo=45V、BC548,BC558のVceo=30V
キレたヘッドホンアンプの性能測定
スルーレートはどの程度向上しているのでしょうか。また、幾度となく悩まされてきた発振は、抑え込まれているのでしょうか。試験信号を使って、性能測定を行います。
性能測定:正弦波
先ずは、正弦波を入力し、増幅後の波形を観察します。
1Hzから20kHzまでの測定の結果、増幅後の波形に乱れは見られません。また、振幅の変化も測定誤差の範囲に収まっていると思われます。また、オフセットも約6Vの振幅に対し20mVで、デシベル換算で-49dBです。
つぎに、出力が-3dBとなる、カットオフ周波数を探ってみました。
カットオフ周波数は3.7MHzでした。無駄に高い周波数まで増幅出来ています。このヘッドホンアンプ、かなりキレてます。
性能測定:矩形波
矩形波を入力し、増幅後の波形を観察します。回路内での信号遅延が大きい場合、オーバーシュートやリンギングが見られます。これらの、信号の乱れの大きさで、発振しやすさや安定性を推し測ることができます。
矩形波の性能測定結果は見事です。というより、驚きました。特に20kHz矩形波では、オーバーシュートが全く見られませんでした。これまで制作したヘッドホンアンプでは、オーバーシュートは多少なりとも見られました。しかし、今回は全く見られません。位相補償を全く行っていないにもかかわらずです。
性能測定:スルーレート
このヘッドホンアンプの目標の一つは、スルーレートの向上です。しかし、実使用に於いては、高すぎるスルーレートは、発振の原因にもなります。また、オーディオ用であれば、スルーレートは1V/μSでも、十分すぎる程です。したがって、スルーレートの向上は「こだわり」でしかありません。
測定の結果。118nSあたり3.98Vの出力電圧変化でした。これを1マイクロ秒あたりの値に換算すると、33.7V/μSとなります。電源電圧が±4.5Vでこの値は見事と言って良いでしょう。スルーレートは、電源電圧に比例します。例えばオペアンプでの測定条件、電源電圧±15Vに換算すると100V/μSくらいになるはずです。
この結果から、スルーレート向上という目的は果たしたと言って良いでしょう。
性能測定:リニアリティー
スルーレートが、どれほど高くても、出力信号が乱れていては魅力が薄れます。では、今回制作したヘッドホンアンプが入力信号を忠実に増幅出来ているかを確認します。ここでは二種類の信号を入力し、増幅後の波形を観察することで、リニアリティ(直線性)を確認します。
三角波での測定では、出力波形が真っすぐな線で構成されているか否かを確認します。もし、線が曲がっていた場合には、入力電圧レベルにより、増幅率が一定でないことが解ります。
階段波では、階段状の波形が観察できます。一段一段の段差が等しければ、入力電圧レベルによる増幅率の変化が無いと言えます。
三角波、階段波共に綺麗な出力波形が確認できました。これにより、リニアリティー(直線性)が十分確保できていることを確認しました。
性能測定:無信号時の出力オフセット
これまでのヘッドホンアンプと同じく、このヘッドホンアンプも、カップリングコンデンサを省略しています。にもかかわらず、直流信号も増幅できるDCアンプとしています。
アンプの出力に直流成分が含まれることは、好ましくありません。大きな直流成分が出力された場合、接続したイヤホンやヘッドホンを破壊する可能性があります。また、破壊に至らなくでも、電源投入時に不快なポップノイズを生じさせます。
出力オフセットは、使用素子の温度によっても変化しますし、使用素子のばらつきによっても生じます。したがって、出力オフセットに過敏になる必要はありません。また、追い込んだとしても、前述のとおり、使用環境や使用時間によって変化します。出力オフセットが、100mV以下であれば、問題ないでしょう。
では、今回制作したヘッドホンアンプの無信号時出力オフセットの測定結果を見てみましょう。
左右とも一桁ミリボルトの範囲に収まっています。今回の回路では、出力オフセットは一段目差動増幅回路で決まります。事前に、一段目差動増幅回路に使用するトランジスタのVbeを揃えておきました。その結果、出力オフセットは、満足できる結果となりました。
キレたヘッドホンアンプの音は?
ここに至るまで、沢山の失敗をしました。特に、帰還信号の回り込みによる発振は、完全に盲点でした。しかし、この失敗により、負帰還回路が増幅率だけでなく、安定性にも影響を及ぼすことが解りました。そして、オペアンプに、ユニティーゲインでの使用可否や、増幅率制限が有る理由が判りました。
スルーレート重視のヘッドホンアンプは、かなりの回り道をした末に、今回漸く完成に至りました。
さて、肝心の音の方はどうでしょうか。性能測定の結果で、大体の傾向は解ります。ノイズも歪みもなく、周波数特性は呆れる程フラットです。出力端子はプッシュプル段のトランジスタに直結です。したがって、ダンピングファクター低下につながる要素は皆無です。
実際に鳴らしてみると、半導体アンプらしい逃げ場のない音です。低域から高域までまんべんなく出ています。性能測定の結果からもわかるように、何一つ加えることは無く、引くこともなく、ひたすらに増幅だけをします。原音重視なら、完ぺきなアンプです。逆に、アンプに表現力求めるなら、間違いなくゴミ箱行きでしょう。増幅意外何もしないアンプですから。
逆に、良い録音は良い録音のまま聞かせてくれます。このアンプに適した音源は、これです。